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【裁判報告】 2017.3.3 民事裁判が和解成立しました

  1. 2017/04/30(日) 20:31:34_
  2. 裁判報告
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娘さつきのファミリー・サポート・センターでのうつぶせ寝事故の民事裁判は、2017年3月3日の期日で、
被告3者(八尾市・ファミサポ実施の八尾市社協・援助会員本人)との間で和解成立しました。
(和解についての報道です。朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20170303004863.html

2010年の事故以降、あずかり会員には面会を拒否され、行政は「当事者解決」を盾にして
申し入れや署名活動での事故調査要望に応じず、3年間実質放置された状態からやむなく提訴し、また3年…、
やっと、裁判は終わりをむかえることができました。

行政の責任こそ認められませんでしたが(これはファミサポ制度設計そのものの問題だと思います…)、
6年かかってやっと、さつきの事故と死亡に預り手の過失責任があった、ということが裁判所によって認められました。
公の制度でありながら、裁判までしないと謝罪はおろか認めてももらえない!…という、
普通に考えるとまったくおかしな話なのですが、そのことはこれから、
裁判とはまた違った方法で国や保育行政に働きかけていきたいと思います。

(3月末には刑事事件での処分もあり、不起訴の結果ではありましたが、これは密室という事故の状況、そして当人の自白がないという条件下では仕方ないかと思っています。保育事故に共通する課題でもあります。。。)

和解については直前(前日の夕方)まで最後の調整が続いており、2月からずっと心も体も落ち着かない日々でした。
援助会員の責任は認められる一方、行政の責任までは難しい…という前提での和解協議には
考えの整理や譲歩も必要で、難しい局面も多々ありましたが、
ひとつひとつ家族や弁護団の方々と熟考するという過程を重ねてきたので、最終得られた結果には納得しています。

何より、事故から6年、当事者達に「おたくの子どもは勝手に死んだのだ」とさつきの事故が無視され、
裁判では攻撃すら受け続けてきた状況だったので、やっと「さつき事故は援助会員に責任がある」と
客観的に認めてもらえたことは大きかったです。
これで、被告側も認めざるを得なくなりました(おかしな話ですが現実です)。ほんとうに、やっと…の思いです。

密室でのあずかりで、援助会員が事実をきちんと述べていない状態での裁判は圧倒的にこちらにとって不利で、
敗訴しても仕方がない条件でしたが、それでも何かが明らかになれば、との思いではじめた裁判でした。
そういったことからすると、「今ある状況や条件の下での最大の結果」が出せたのではと捉えています。

元々裁判自体が本意ではなく、争わない形での解決を求めていましたが、被告側の不誠実な対応故に、
それはかないませんでした。
また、さつきが返らない以上、どんな結末になっても「満足」な終わりなんてないだろうな、と思っていました。

和解の道を選んだことで、援助会員の女性に直接さつきに謝罪させる(あえて「させる」と書きます)場をもつことができました。
事故後わずか一ヶ月で面会を拒絶され、事故の事実から逃げ続け、
裁判や尋問では幾度となく私たちを落胆させた援助会員の目前に、これで最後との思いで
さつきの写真と遺骨を連れていき、
さつきがどんなふうに事故から3年を過ごしたかを伝えることができました。
これができたのは和解ならではのことです。

八尾市・社協の行政についても、和解条項において今後への前向きな約束をしてもらうことができました。
判決だと「行政側には一切責任なし」だけに終わっていたかもしれないことを考えると、
和解したことでこれからの制度改善を求めていく足掛かりができる形になり、これでよかったなと思っています。
行政の責任については、制度設計上の問題によるところが大きいため、今後も裁判とは別の形で
働きかけを続けていきたいと考えています。
活動は、引き続きこちらのブログで発信していきますのでよろしくお願い致します。

和解と会見・報告会を終えた後は、疲労と「終わったなぁ」感で脱力・ぼんやりしつつも、
待ったなし!の子どもたちの世話に遊び、ISA(赤ちゃんの急死を考える会)が国へ申し入れ行動する為の作業や、
和解成立の結果をもって厚生労働省と内閣府への申し入れ…など、
裁判していた頃とそんなに変わらない慌ただしい生活?を送っています。それでも、
裁判が終わったことで、気持ちがほっと安心しているところは大きく違うな、と感じています。

ここまでの結果が出せたのも、いろいろな形で支えてくださった皆様のおかげです。
ほんとうに、わたしたちだけでは到底やってこれなかったと思います。
ありがとうございました。ただただ感謝の思いです。

◎5月27日に、裁判全体の報告会&感謝のつどいを企画中です。ぜひ多くの方にお集まりいただきたいと思います。

日時:5月27日(土)11時~14時(予定)
場所:八尾プリズムホール5階レセプションホール(八尾市)

お問い合わせは、メールフォームもしくはtwitter @FGMaki までお願いします。


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【裁判報告】2017.2.3 第20回口頭弁論がありました(結審)

  1. 2017/02/12(日) 15:04:12_
  2. 裁判報告
  3. _ tb:0
  4. _ comment:0

2017年2月3日の第20回期日をもって、娘のファミサポ民事裁判は弁論終結しました。

当日は朝10時~の早い時間設定にもかかわらず、多くの方に傍聴・応援いただきました。
(この裁判が始まって以降毎回傍聴者があることから、事前に412法廷に場所変更してくださいました。)

私たち原告側より、前回期日で補充が求められていた証拠書類について提出・確認されました。
また、請求にかかる申し立てについても書面提出・陳述を行いました。

裁判長から、では以上で弁論は終結…とあったところで、被告側代理人から”待った”がかかりました。
「前回期日(12月27日)に原告が提出した最終準備書面に”新たな主張”があると捉えているので、
その点への反論書面を追加で提出したい」といった趣旨でした。

今頃なにを??という思いと、「またこの日々が続くのか…?」という不安で、
目の前が暗くなる感覚に襲われながらも、冷静に頭を整理しました。
そもそも私たちは”新たな主張”はしておらず、それに書面提出は昨年12月に提出・確認されたもので、
12/27の前回期日でも被告側から何の意見も出ていませんでした。

間を入れずに裁判長から、裁判所としては原告から新しい主張がされたとは捉えていないこと、
被告が指摘した点は既にこれまでの弁論で争点になってきている部分であることが、
過去の書面での主張箇所を具体的に示しながらの説明がありました。

原告側としても、その通りであること、よって今回で予定どおり弁論終結させてほしいことを述べました。

私は突然のことに心を乱された状態でしたが、裁判所の的確な対応に冷静さを取り戻し、
あらためて、本件の審理を丁寧に進めてくださっていることへの感謝と、心強さを感じました。

裁判所は、被告側が書面を作成するのであれば、その書面を見た上で扱いを検討します…とし、
今回で弁論を終結するとの宣言がされました。

判決の言い渡し期日が3月30日(木)13時10分であることが告げられ、裁判は10分程度で終了しました。

その後、場所を415号法定に移し、非公開での和解協議がありました。
和解に関するやりとりは今後も継続されることになります。

判決・和解、どちらの形をとるにしても、この年度内に一つの結論をいただけそうな見通しになり
それについては少しほっとした思いでいます。

とはいえ、まだ道は続きます…
引き続き、応援よろしくお願い致します。



【裁判報告】2016.12.27 第19回口頭弁論がありました

  1. 2017/01/13(金) 19:51:00_
  2. 裁判報告
  3. _ tb:0
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12月27日にあった、第19回口頭弁論の報告です。
年内に書いてしまいたかったのですが、直後はやや気持ちが向かなかったこともあり、
その後は年の瀬のあわただしさの中で、結局年を越してしまいました。

お正月休みも終わったので、取り急ぎ(遅いですが…)ご報告したいと思います。

期日では原告・被告の双方(被告は三者それぞれ)から最終の書面が提出され、
以降新たな主張を出す予定はないことが確認されました。

今回で弁論日程としては最終となる予定でしたが、私たち原告側の証拠資料について
裁判所より補足が求められたため、結審は次回に持ち越しとなりました。
(裁判所や原告・被告双方の関係者の皆様、いつも傍聴に来て下さる皆様に申し訳ない思いです…
次回までにきちんと準備しておきます)

次回期日は2月3日(金)10時~、大阪地方裁判所415号法廷となりました。
今回よりも早い時間設定で、場所も異なります(円卓のみの部屋なので傍聴ができない形です)。

裁判は10分程で終わり、その後、裁判所と原告・被告で和解についての協議が非公開で行われました。
(和解手続は非公開であるため、協議内容についてはここで報告することができません。申し訳ありません)

次回期日で弁論は終結しますが、和解についてのやりとりは継続していく形になります。

私たちには、提訴以降の局面すべてが初めてのことなので、わからないことも多いのですが
裁判所や代理人の弁護士先生方、関係の方々にご教示いただきつつ、
これまで通り丁寧に、ひとつひとつ進めていきたいと思っています。

引き続き、応援よろしくお願い致します。



【裁判報告】2016.11.15 第18回口頭弁論がありました

  1. 2016/12/23(金) 15:41:53_
  2. 裁判報告
  3. _ tb:0
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この11月で、さつきの事故(2010年11月)から6年、
裁判をはじめて(2013年11月)からは3年になりました。

3年…というと長いようにも思えますが、わたしの気持ちとしては
仕事や子育てといった日々の生活と並行して、毎回の期日ごとに精いっぱいの準備を重ね、
たくさんの気持ちの波を越えつつ、
気がつくと3年たっている…という感覚です。

11月15日、第18回の期日がありました。
前回(尋問)から約3ヶ月半あいた形ですが、その間にもいろいろなことがありました

まず、刑事(2014年4月告訴)のほうで動きがありました。
8月17日、援助会員女性が業務上過失致死の容疑で書類送検され、その後各局で報道がありました。
今後、刑事事件としての本件は検察の方々による捜査を経て、判断(起訴・不起訴)をいただくことになるそうです。

8月末ごろ、裁判所から証人尋問の調書(尋問のやりとりの文字起こし。かなりの枚数です)を受け取り、
9月以降はその読み込みと、最終書面準備のための打合せを複数回持ちました。
並行して、被告援助会員の供述内容が疑わしいことを示すための「実験」を計画・準備し、実行しました。
同じ目的で、乳児の写真や動画の撮影も行い、裁判での活用を検討しました。

10月に第3子(女の子)を出産したことで大きな生活の変化もあり、慌ただしい3ヶ月半でした。

今回の期日では、こちらから「実験」の報告書(発達心理学の先生方に執筆いただきました)を提出しました。
次回までに原告・被告双方が最終の書面を準備することが確認され、日程の調整を行い
期日自体は5分程度で終了しました。

次回期日(第19回口頭弁論)は、12月27日(火) 10:30~ 大阪地方裁判所 810号法廷
になりました。
次回で、弁論は終結となる予定です。

今は、既に最終の書面は完成し(夜中の授乳の合間、睡眠時間をさらに削って頑張りました…!)、
心を落ち着けながら、数日先の期日に臨もう…としています。
次回の報告は、すぐに書きたいと思っています (年をまたいでしまうので ^^;)
ぜひまたお読みいただければ幸いです。

引き続き応援よろしくお願い致します。



【裁判報告】2016.7.26 証人尋問(第17回口頭弁論)がありました

  1. 2016/10/16(日) 21:11:15_
  2. 裁判報告
  3. _ tb:0
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7月26日の証人尋問(証拠調べ)から、はやくも二ヶ月が過ぎ、すっかり秋になりました。
尋問の報告をどのような形で記そうか、いろいろな気持ちが渦巻く中で、
考えるほどに気持ちと手がブログ更新から遠のいてしまっていました。

先日(10日)にはさつきの命日の法要も終え(亡くなって三年が経ちました)、いくぶん気持ちも落ち着いたので、
考えを整理する意味でも、やはりここに記録しておきたいと思います。

当日は、朝からたくさんの方が集まってくださったおかげで、大阪地裁の大法廷(202号)がほぼいっぱいになりました。
裁判所入り口での取材撮影を経て緊張していた私たちでしたが、
大阪だけでなく東京、山口、福島、愛知、他まさに日本各地から駆け付け、法廷入り口で迎えてくださった
皆様のお顔に励まされ、ホッと気持ちが緩みました。
(傍聴のみなさんには"支える会"から、それぞれ小さな「つきバッヂ」が配られていました)

定刻10時、八尾市立病院の医師の尋問が始まりました。
被告八尾市代理人弁護士からの主尋問では、RSウイルスについての質問が複数されました。
私たちはこれまで「さつきからRSVが検出されたとしても、それによって何の症状もなくいきなり呼吸停止に陥ったとは
考えられない」と主張(被告側の「原因はRSV」とする主張への反論)を続けていたので、
担当医であった医師自身がRSVと呼吸停止についてどのような見解を示すのか、緊張しながら見守っていました。

結果、医師は、さつきの呼吸停止についてはRSVだけが唯一の原因とは考えていないこと、
うつぶせによる窒息の可能性を否定してはいないこと、などが明らかになりました。

続くこちら(原告)側からの反対尋問では、事故当日のさつきから鼻水などの症状が確認されていないことなどが
明らかにされました。

裁判所からもいくつか質問がありました。診断根拠など医学的に深い内容が多く、
これまでの双方の主張や書証をよくふまえて審理を進めていただいていることがうかがわれました。

続いて、被告八尾市社会福祉協議会元職員(当時のファミサポ責任者)の尋問がありました。
途中で昼休憩をはさむ形で、事故前後のファミサポ事業の運営の実際について、被告社協・原告・裁判所から
それぞれ質問がありました。
証人は当時の責任者であり、事故対応の窓口として私たちとのやりとりを担当していた人物にもかかわらず、
質問に的確に答えられていない場面やあいまいな回答が多くありました。
私たちは驚くと同時に、やはりファミサポの運営自体が現場任せであり、子どもの命をあずかる事業でありながらも、
感覚や慣例で行われていた部分が多かったのか…と思わざるを得ませんでした。
無責任な運営に腹を立てると同時に、だからこそさつきはその犠牲になってしまったのだという憤り、そして
そんな事業に大切な娘を託してしまったことへの後悔を強く感じ、何ともやりきれない時間でした。

おおよその予定通りに進行し、その後は原告への本人尋問へと続きました。
私たちは緊張しながらも、裁判所や関係者(被告本人含む)、傍聴席で見守ってくださる全ての方々に、
私たちの知りうる事実と事故からの心情を直接伝えられるよう力を尽くしました。
被告代理人からの反対尋問で、質問の意図がわからないこともありましたが、落ち着いて対応できたと思っています。

最後に、被告援助会員女性への尋問がありました。時刻はすでに午後3時半を回っていたと思います。
(これもほぼ予定通りでした)
被告側代理人からは、本人が事前に提出した陳述書の内容を踏まえてひととおりの事実認識の確認がありました。
私たちの知っている事実とは異なる証言も複数ありましたが、それは予想していたことだと、
できるだけ心を落ち着けて彼女の一語一句に耳を傾けました。

一対一のあずかりである以上、本当の事実を知っているのは物を言えぬさつきと彼女自身でしかなく、
彼女が「こうだ」と述べる事柄に対して私たちが異を唱え証明することは容易ではありません。
しかし、私たちの持つ少ない材料の中でも、搬送時の記録などの客観証拠に加えて、
これまでの彼女の説明が一貫していないことや、限られた供述の中にある不自然さをもって、
提訴後ずっと入念に彼女の過失に関する主張を行ってきました。

そしてこの尋問に関しても、相当時間を使って準備を進めてきました。
私たちは議論を重ねた結果、事故後すぐのやりとりの中で彼女が「自分の知っている事実だ」として記述していた文書
(正しくは、当時の社協職員が彼女への聞き取りを基に作成した文書に、彼女自身が熟考の上加筆・修正したもの)を、
「弾劾証拠」として尋問中に提出することにしました。
主な目的は、彼女の供述内容が事故当初と裁判中で変化していること(内容が真実であるか、は別として)
すなはち彼女の説明内容は信ぴょう性に欠けることを示すとともに、そこに書かれている内容につき、
今の彼女自身がどう説明するのかを見ることでした。

驚いたことに、反対尋問(原告代理人弁護士による)中の彼女の態度は、想像以上に頑ななものでした。
はっきりYes/Noを示す質問と、一貫して「記憶にない」とする質問との差が激しく、ますます不誠実な印象を受けました。
今回の事故について、とくに自分に非があったとは思っていないような、他人事のような返答も見受けられました。
途中、明らかにつじつまが合わない不自然な応答について厳しく質問された際も、
強くぶっきらぼうに「こうだ」と言い張る姿に、呆れすら感じました。
言ったもん勝ちである、言い続ければ逃れられる…と信じているかのようでした。
そのような態度は、裁判官からの質問への受け答えにおいても共通していました。

私たちは、信用して娘をあずけた人である以上、良い人であってほしいとの願いがあり、
故意ではないと信じたい、そして事故後もきっと彼女なりに苦しんでいる部分もあるに違いないから、
尋問は彼女にとっても辛い機会なのだろう…この機会に真実を話して詫びてくれればと、当日までは微かな期待と、
彼女を思いやる気持ちもあったのですが、その感情はまさに木端微塵に打ち破られました。

この6年近く彼女に対して抱きつつ、幾度もその不誠実さを前に「捨てよう」と思わされながらもそうはできなかった
"気の毒さ"や情けのようなものが、見事にぶち破られたのは、ある意味良かったのかもしれません。

決定的だったのは、最後の方の質問に対し彼女が「事故後の藤井からの聞き取りは恐ろしくて仕方なかった、
こう返事しなければ部屋から出してもらえないという恐怖でいっぱいだった」(!)などと、
その時だけは驚くほど雄弁に早口で裁判官に対して訴えかけた場面でした。

私たちは事故直後の混乱の中でも、彼女の気持ちに配慮しつつ決して声を荒げることなく、
冷静に聞き取りを行うよう努力してきました。
時間が長くなったのは何よりも、彼女自身が一貫した説明を行わないことや、涙や沈黙による中断が
長きにわたったことにありました。それなのに…!です。

さすがに、「何を…!」とつぶやかずにはいられませんでしたし、気持ちとしては手に持ったペンを投げつけたい、
いやそれ以上の憤りを感じました。…が、堪えました。

彼女にすれば、そのように思いこまないと、今日までの6年近くを過ごすことができなかったのかもしれません。
しかし、あまりに身勝手で自分本位な言動に、言葉を失ってしまいました。そして、
こんな人にさつきをあずけてしまったのか…!と、情けなさとさつきに対する申し訳なさで、終了後は涙がとまりませんでした。

5人すべての尋問が終わり、取材を受けた後、報告会の場所へ移動しました。
たくさんの方々が参加して労ってくださったおかげで、ほっとした思いと、
「やれることはやりきったなぁ」という満足感を感じることができました。

事実と異なる証言や、追求しきれなかった事柄もありましたが、尋問のために代理人の先生方や
支援くださる方々と重ねてきた準備の成果は、充分出し切ることができたと思っています。
これ以降は、尋問の結果を受けて、双方が最終の書面ならびに証拠を準備・提出することになります。

次回の期日は、11月15日(火)10:30~ 810号法廷
となりました。

2013年の11月に提訴し、3年目に入った民事裁判もいよいよ最終段階です。
後悔のないよう、最後までやり抜きたいと思います。
応援よろしくお願い致します。




【裁判報告】2016. 5. 24 第16回口頭弁論がありました(尋問を前に)

  1. 2016/07/10(日) 18:55:26_
  2. 未分類
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前回(3月)の期日からあっという間に2ヶ月が過ぎ、5月24日に第16回目の口頭弁論がありました。
法廷は7月の尋問で使用予定の810号でした
(いつもの円卓とは違う、よくテレビで見るスタイルの法廷でした)

まず、私たちが5月の連週明けに提出した「陳述書」につき、その証拠書類(書証)の確認があり
被告側から出ていた書証の原本確認や、被告援助確認から提出された「陳述書」も確認されました。

驚いたのは、被告援助会員からの陳述書の書証番号が「丁1号」だったことでした。
2013年の提訴から2年半、既に私たち原告から提出の資料は「甲70」番台を数える一方で
援助会員本人からは、そういえば書面での主張以外に、何の証拠書類も出ていなかった…という事実を再確認し
ふたたび、なんだかなぁ…という思いがしました。
(被告八尾市(乙)、被告八尾市社協(丙)からは、それぞれ数十を超える書証が出ています)

被告援助会員の「陳述書」には、当日の状況についてのそれほど詳しい記述はなく
やはり尋問で本人に直接聞きたいことが多くある…と感じます。

今回の期日で、、八尾市立病院の担当医と、事故当時のファミサポ運営責任者について
被告八尾市・八尾市社協より人証申請を行う旨が伝えられました。
なんじゃそら、という印象です。
前回あんなに、「不要だと思っていた、採用されるとは思っていなかった」
「だからこちら(被告)からの申請はしない」などと、
大人げない対応で断っておきながら、今回しれっと「申請します」との態度の変化には
ただ呆れるばかりです。

ともあれ、これで被告側の証人は三人とも(援助会員本人・病院医師・元社協職員)
被告側からの申請→被告側からの主尋問、となり、事前に陳述書も提出されることになりました。
我々からの尋問は、主尋問の後で反対尋問で行うことになります。

そして、尋問当日の具体的な時間配分が検討されました。
予定としては
①医師
②元社協職員
③原告藤井真希
④原告藤井朋樹
⑤被告援助会員

の流れになりました。(10時~17時、一日かけて実施。時間配分はそれぞれ異なります)

次回はいよいよ7月26日、尋問当日です。
それまでの間に代理人の弁護士先生方、支援いただいている皆様との打合せを重ねて、
尋問に備えることになります。
大きな一つの山を前に、緊張も高まります。
今できるベストを尽くして、当日に臨みたいと思います。
既に多数の方から傍聴参加いただけるとのご連絡をいただいており、本当にありがたく心強いです。

応援、どうかよろしくお願い致します。





【裁判報告】2016. 3. 25 第15回口頭弁論がありました。

  1. 2016/05/09(月) 15:13:12_
  2. 裁判報告
  3. _ tb:0
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3月25日、第15回の裁判期日がありました。
今回のメインは、いよいよこの夏に行われる予定の「証拠調べ」、いわゆる証人尋問、についての詳細を決めることでした。

既に前回期日までに尋問が決定された私たち「原告2名」と、被告の「援助会員女性」に加え、
私たちが尋問の必要性を主張していた(そして被告側は必要性を否定していた)
「八尾市立病院の医師」と、「八尾市社協の職員(当時)」、「発達心理の専門家」についてをどうするか、
裁判所の決定が待たれていました。

いよいよ
裁判所から「人証申請について、この間で原告・被告双方の意見(書面2往復)を聞きまして…」との切り出しがあり
私は固唾を飲んで、次に続く言葉を待ちました。

裁判所が採用したのは
・原告2名
・被告援助会員
・八尾市立病院の医師
・八尾市社協職員(当時)

でした。(うつぶせの危険性について意見書を書いてくださった発達心理学の先生への尋問は不採用となりました)

聞いた瞬間、とりあえずの安心と、これまでの頑張りが少し報われたという思いがして
心が震えてすこし涙がでました。

医師と、社協職員の尋問が決まったことで、事実関係をより詳しく・当事者に直接確認できる機会を得られました。
採用されることを信じて、願って、これまで毎回の書面や意見書を弁護士さんと共に書き上げて来ましたが、
とくに医師の尋問については被告側の全力の抵抗があり、
もし尋問が採用されなかったらどうしよう…と不安に思う気持ちもありました。

また、今回のことはある意味、本件事故の訴訟において、重要な「裁判所としての決定」がはじめてなされる場面であり
(書証の開示命令などの審議と決定はありましたが)
こちらの主張(尋問の対象者)についての、裁判所の一定の判断・見解が示される機会になる…と
捉えていたので、期日の前から相当緊張し、落ち着かない気分でもありました。

なので、決定を聞き、張っていた心の緊張が解けると共に、「認めてもらえた!」という喜びと安心をじんわり噛みしめました。

発達心理の先生の尋問が不採用となったのは残念ですが、
意見書自体をとても具体的で説得力のある内容に仕上げていただいていたため、
直接著者の説明をきくまでもなく、よく理解していただけたということなのだろう…、と感じました。

被告側の人物から新たに2名の尋問が決定されたため、裁判所から、2者を被告からの申請としますか、と
確認がありました。(援助会員については、既に尋問実施決定後に、被告側からの申請がし直されていました)
しかし、被告側は顔を見合わせながら
「いやぁ、まさか決定されるとは思っていなかったので…ねぇ…」
「まったく想定しておりませんでしたので…はぁ…」と、ややおおげさに言葉を交わしていました。

私は腹立たしさを覚えました。

そもそも、この決定までに2往復の主張のやりとりがあったにもかかわらず、
「全く想定していなかった(から申請し直すかは考えていなかった)」というのも、関係者全員に失礼な話だと思われましたし、
いざ裁判所の判断を聞いたその場面で
「決定されるとは思ってませんでした」と言ってみたところで、当然ながら裁判所の決定が変わるわけもありません。

くりかえし驚いて見せる被告側の態度に、この人たちは一体何がしたいのか、と不快な気分になりました。

そして結論として、医師と職員については、被告からは申請しない、としました。
これにより、被告側の人間のうち2名は、こちら側が主尋問を行い、被告側が反対尋問を行う…という
やや不思議な形になりました。
被告側(八尾市・社協)代理人曰く、「特に聴くこともないのでねぇ…何しろ、全く想定してな(以下略)」
とのことでした。

続いて、具体的な時間設定へと議論が進みました。
裁判所は、5名の尋問を1日で行いたいとの考えのようでした。
(憶測ですが、発達心理の先生への尋問が不採用になったの理由の1つはここにあるのかもしれません)
被告側の人物が2名採用になったにもかかわらず、被告側が主尋問を実施しない…ということで
(むしろこれこそ、「そんなこと想定してなかった」だと思いました)
こちらからの主尋問を何分に設定するかで悩みながらも、いちおうの時間配分を検討しました。

尋問の日程は、7月26日(火)に予定されました。朝の10時から夕方5時まで、一日がかりで行われます。

次回の期日が 5月24日(火)16:30~に設定され、ここで順番と時間配分を確定することになりました。

そして期日の前、5月の連休明けに、原告2名と被告援助会員は、陳述書を作成して提出することになりました。
今はちょうどこの陳述書の作成・提出を終えたところです。

朋樹・真希それぞれ陳述書は10枚以上になり、これはほんとうに骨の折れる作業でした。

これまでの過程で、事故当時の資料を見直し、記録と辛い日々の記憶に向き合わなければならない場面や
逃げ出したくなるような苦しい作業が何度もありましたが
今回はそれらをひとつひとつ言葉に起こし、かつ読む人に事実がきちんと伝わるような文章に仕上げなければならず
相当な精神力と、労力、時間がかかりました。
でも、ここで妥協すると絶対後悔する、と自分を奮い立たせ
せっかく認められた尋問の機会を、事故以降のこれまでの全てを、最大限生かせるように、
頑張って書き上げました。

書証として、さつきの自宅での療養経過と看取りをまとめた冊子や、
提訴前の八尾市とのやりとりの中で得られた、彼らの誠意のない対応を表す資料など、多数盛り込みました。

裁判所と被告側だけでなく、さつきの事故を知って応援して下さる方々や、
保育事故に関心を持って下さる運動や報道、行政や政治家の方々、
そして、もしこれから先に不幸ながら同様の訴えを起こさなければならないかもしれない方々
(ないことを望むばかりですが)
何らかの形で、いろんな人の心に届けばいい、願わくば、この裁判を通して役立つことがあればいい、と思って書きました。

次回期日までに(もう2週間後となりました)、裁判所の方々が読み込んでくださるものと思います。

期日の後は、いよいよ尋問当日に向けた本格的な準備がはじまります。
その前に、さつきの誕生日がくるので、今年も街頭でのチラシ呼びかけ行動をしたいと考えています。

また、熱い厚い夏になりそうです。(暑すぎなければいいですが…)

引き続き、応援よろしくお願い致します。




【裁判報告】2016. 2. 18 第14回口頭弁論がありました。

  1. 2016/03/23(水) 17:17:01_
  2. 裁判報告
  3. _ tb:0
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2016年2月18日(木)、第14回の裁判期日がありました。

前回(12月)の期日で被告側から提出された、小児科医師による意見書(さつきの呼吸停止の原因はRSV)に対し
こちらからの意見を準備書面として提出しました。
こちらでお世話になっている小児科の先生からもご意見を書面でいただき、あわせて提出しました。
これまでの被告の主張についても、この度の意見書についても、じゅうぶん反論できたと思っています。

また、今回の期日の前に裁判所より被告社協に対し「文書提示命令」があり
社協が「あるけれど出したくない」と提出を拒んでいた、援助会員女性の講習受講を証明する資料の
開示(裁判所への提示)が求められました
それを受け、資料は任意で提出されることになりました。
こちらの要求が通った形になり、資料を確認・検討できることになったことは良かったのですが
何一つとっても、煩雑な手続きと長い時間がかかるものだなと、つくづく思います。

証人尋問について、期日までにこちらから提出していた申請書をふまえて、
裁判所が当事者3名(藤井さつきの両親、被告援助会員)の尋問を認める方針であることが明らかにされました。
ほかに、わたしたちが尋問の必要性を主張した3名
(さつきを担当した八尾市立病院の医師・社協担当者・うつぶせの危険を指摘くださった発達心理学の専門家)
については、次回までの審議となりました。

次回期日までの一ヶ月で、まず被告側からも人証申請についての意見(原告の申請内容をふまえて)を出し、
それをうけてこちらが再度意見を出す、ということが決まりました。
双方の主張意見をふまえて、尋問については次回期日で一定の事項(いつ・誰)が決定されるものと思います。

次回期日は3月25日(金)14:00~ 407法廷 となりました。(いつもと時間・場所が違います)

裁判でのやりとりも人証申請の準備がメインになり、
いよいよ次回には尋問の日程や内容が決まると思うと、緊張も高まります。

同時に、尋問に際し「陳述書」を準備する必要があり
また、過去の記録と記憶に深く向き合い、言葉に紡ぎだす作業が始まるのか…という、やや憂鬱な思いと
いや、ここでこそしっかり踏ん張って、さつきのためにもしっかり事実を伝えなければ、という使命感や責任感と、
いろいろな感情がわきあがります。

その時その時でできる最大限を、重ね続ける
気持ちをしっかり持って、ひとつひとつに向き合っていこうと思います。






【裁判報告】2015. 12. 15 第13回口頭弁論がありました。

  1. 2016/01/24(日) 18:55:39_
  2. 裁判報告
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年を越してしまいましたが、12月15日(火)に行われた第13回口頭弁論の報告です。

裁判開始から約2年が経ち、前回の期日までに両者の主張はほぼ出そろっている…と言える状況にあります。

今回は私たち原告からは特に何も提出しませんでしたが(しばしの休息期間でした)、
被告三者からは、前回に予告されていた「医師の意見書」が提出されました。
執筆者は小児科開業医の方のようです。
意見書をふまえての被告側の補充主張はしないとのことで、意見書だけが提出されました。

私たち原告側はこれをうけ、次回期日までに何らかの反論(補充主張)を行う予定です。
正月をはさんだ約一ヶ月半の期間で、意見書と書証を熟読し、準備することになります。

期日の後半で、いよいよ尋問についての話がでました

「ニンショウシンセイ、どうお考えですか」
耳慣れない裁判用語に、認証?人称?と戸惑いましたが
人の証拠→「人証」と言うようです。
これまでの証拠が紙の証拠「書証」であったのに対し、今後は人間の話(事実に対する証言)「人証」を
証拠にとっていくステージに入るようです。
(やっと、いわゆる”裁判らしい”段階に入る…と私たちも表現はしていますが、
当事者としてはこれまでの「書面筆談期間」も相当に苦しくかつ重要な、「じゅうぶん”裁判”のプロセス」でした。)

まず原告は、と聞かれ、弁護士の先生から
(被告側関係者は被告側からの申請があるものとして、)こちらの当事者である藤井さつきの父母、
そして意見書を執筆いただいた発達心理学の研究者のうち1名、などを申請検討している旨を伝えました。

そして被告側は、と裁判官が尋ねたところ
なんと、三者(援助会員・社協・八尾市)とも、関係者の誰も申請する予定はなく、
援助会員の陳述書だけ提出したい、とのことでした。

その場にいた多数の人が「???」となった瞬間でした
つまり、被告側からは援助会員本人も、RSが原因だとした八尾市立病院の医師も、出すつもりはない。ということです

…それでは、、、とこちら(原告)から、被告側の人物も含めて、次回までにどういった人を申請したいかを
書面で提出することにしました。

被告側の意図するところはわかりません。
たしかに、これまでの過程でさんざん、民事裁判は原告側にのみ立証責任があり、原理として
被告側は積極的に主張・立証する必要がない(原告さん勝手にがんばってドーゾ、的)立場にあるのだ、
ということは承知しているつもり…ですが、
それでもやはり、また「なんだかなぁ」と思える期日でした。

次回は 2月18日(木) 15:00~ 大阪地裁412法廷 になりました
(いつもより1時間早いです)

被告側がこの裁判をどうとらえているのかはわかりませんが、
私たちにとっては家族の人生そのものの裁判です。
変わらず、動じずに続けていきたいと思います。

また、尋問の際にどれほどの傍聴が予想されるかによって、使用する法廷を決めるとのことです
(現在使用している法廷は25名前後の傍聴席があり、毎回席がほぼうまるほどの傍聴をいただいているので
尋問時にはさらに大きい法廷を使用するか、を検討するとのことでした)

裁判は平日なので、都合をつけていただくのが難しいことを承知しているだけに、お願いするのは心苦しいのですが
多くの方に見守っていただけますよう願っています。(尋問は春以降になりそうです)
どうか、応援よろしくお願い致します。



【裁判報告】2015. 10. 29 第12回口頭弁論がありました。

  1. 2015/12/06(日) 23:47:03_
  2. 裁判報告
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2015年10月29日(木)、第12回口頭弁論の報告です。

2013年の提訴から、はやくも2年が過ぎました。
約2ヶ月に一回のペースで期日が入っていたので(これまでは奇数月でした)、今回でちょうど12回目となります。
いつもと同じ大円卓の法廷で、傍聴席には原告側・被告側合わせて20名ほどの方がおられました。

今回は私たち原告から、発達心理学の3人の先生方に執筆いただいた『意見書』を提出しました。
約30ページに及ぶ(もはや論文といえます…)今回の意見書には、
既に私たちが証拠として提出していた「赤ちゃんの急死を考える会」作成のビデオ
(各ご家族の協力と管理のもと、うつぶせ寝にした状態の乳児の挙動を複数撮影した動画)の
発達心理学の観点からの分析と解説、そして、本件事故でさつきがうつぶせ寝により窒息に至った可能性についてが
豊富な資料とともに、詳細に述べられています。

ビデオそのものも、大変インパクトがあるものですが(実際に過去の裁判でも有力な証拠となっています)
専門的見地からの分析と解説が加わったことで、より説得力が高まったと感じています。
そして、この意見書は今後の保育現場・研究・行政にも大きな影響を与えうるものと思います。
(執筆者の先生方も、学会や研究会等で発表されるご意向とのことです)
望まない裁判とはいえ、行動する事を通じて少しでも何かが伝わったり変わったりすればよい…との私たちの願いが
またひとつ形になっていくことに、期待を感じるとともに、たいへん勇気づけられる思いです。

そして何よりも、私たちが事故からずっと訴えつづけてきた
「娘は勝手に死んだのではない!」「誰にも一切責任がない、なんてありえない!」という声を
こうして第三者の立場の方に、専門的な議論を通じて支持していただけることは、おおきな救いであり光です。

事故から3年、援助会員や八尾市、社協にさまざまな方法で働きかけ続けましたが
結果的に「苦しみを承知で厳しい裁判にかける」か、「全てを飲み込んで諦める」か、の
2択を迫られる形になり
悩みに悩んで、「泣き寝入りをして前には進めない!娘が勝手に死んだことにされるのは許せない!」と、
前者を選びました。
なので、提訴以降、いろいろなことはありますが、後悔はありません。(前にも同じことを書いた気がしてきました)
それに、ある意味裁判をしていなければ、こういう”報われるような”思いも、できなかったことでしょう。

娘の事故は決して起こってはいけないことでしたが、それが戻せない取り返せない現実の中では
そこからの出会いや、繋がりを思うと、私たちは幸運だと感じています。いつも、感謝の思いでいっぱいです。

裁判の報告に戻ります。
今回の裁判期日では、『意見書』のほかに
私たち原告から被告八尾市社協に対し、援助会員の研修受講を証明できる証拠資料の提出を申し立てました。
既にこれまでの期日においても要求はしていたのですが、被告側からは「証拠はあるけれど、出しません」と
任意の提出がされなかったため(なぜそういった対応だったのか、真意は不明です)、申し立てを行うことしました。
今後双方の意見をふまえて内容が妥当であるかを裁判所が判断し、認められれば裁判所から提出命令が出される、
という手続きのようです。

また、被告三者から、次回期日に「意見書」が提出されることがわかりました。

次回期日(第13回)は 12月15日(火)16:00~、 大阪地裁412法廷 となります。
傍聴・応援、何卒よろしくお願い致します。

11月28日に、「支援する会」の皆様とともに近鉄八尾駅前に立ち、
チラシ配りとマイクを使った呼びかけ行動を行いました。
事故から5年になりますが、「ああ、あの…」と立ち止まって読んで下さる方
わざわざ戻って「頑張ってね」と声かけくださった方等、寒い空の下でもたくさんの温かさに触れることができました。

その日の夕方には「支援する会」の総会で裁判報告を行いました。
と言っても、報告は会の事務局をしてくださっている方が作ってくださった素晴らしいまとめ冊子と、
お忙しい中で参加くださった弁護士の先生のお話、そして意見書執筆者の先生おふたりによる講演で
既に盛りだくさんだったので、私や夫から改めて報告する必要もないほどでした。
(実際に、その後で参加の皆様からのコメントをいただくうちに、私は胸がいっぱいになってしまい
マイクを渡されたものの、ふにゃふにゃになっていてほとんどよぅ喋れませんでした。)

昨年の1年よりも、いろいろな面で前に進んだだけでなく、横のつながりも広く深くなったと改めて感じました。
ご参加いただいた方、メッセージくださった方、twitterで応援くださった方、ほんとうにありがとうございます。

先日は、同じ保育事故の当事者として共に苦しみ、励まし合ってきた大阪市のご家族が
画期的な逆転判決を勝ち取り、私たちも元気をもらいました。
ラッコランドの裁判についてはまた別の機会に書きたいと思っています。

正しく生き、ゆっくりでも正しく歩みを進めていればいつか報われると信じ、
「ひとつしかない真実」が明らかにされることを願って、これからも頑張りたいと思います。



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ようこそ

satsuki-moonlight

Author:satsuki-moonlight
2010年11月、ファミサポを利用した1時間のあずかり中に、娘のさつきはうつぶせ寝の心肺停止状態で発見され、その後脳死状態となり、2013年10月に亡くなりました。事故と、事故以降の記録です。

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